東京大空襲

今回のお題とは、ちょっと趣旨が違うとは思うけど、終戦記念日も近いことなのでこの話を出してみます。




小学校の、校長先生のお話です。




校長先生は、子供の頃に東京大空襲を経験しました。

空襲の日、逃げ遅れた先生は両親ともはぐれ、一人で燃える街中を逃げ回っていたそうです。

やがて先生は、公園にたどり着きました。 すると、遠くの方から

「飛び込めー!! 飛び込めー !! 」

という声を聞いたのでした。

声のする方へ行くと、そこは池でした。 

火に追われた人達が、次々と、その声につられるように、池の中へと飛び込んで行きます。

先生も飛び込みました。 すると、すぐに池の淵まで火が回ったそうです。

間一髪、池の中に逃げた先生は、池の真ん中の岩にしがみつくと、そのまま気を失ったそうです。



空襲後の朝、火も消え、岩の上で気がついた先生は、自分が飛び込んだ池を見ました。






夥しい数の遺体でした。



池に逃げ込んだものの、火に炙られた者。 泳げずに、水死した者。 朝までに力尽きた者。

それらの遺体が、先生の回りを囲んでいたそうです。

結局、池に飛び込んで生き残った人は、少なかったそうです。 












この話を校長先生から聞いたのは、自分がまだ小学校の低学年の時。

その時は、恐くてしかたなかった事を覚えています。



大人になっても、終戦記念日が近づくと、この話を思い出す。 それだけこの話が、強烈に印象に残っているんだと思う。

別に、校長先生が、恐がらせようと「おどろおどろ」 しく話た訳ではない。

とつとつと、記録を読むように、とつとつと。 まるで、語り部のように話てくれた。




今度は自分達が、それを伝えなければならない。 たぶん、先生もそのつもりで話してくれたんだと思う。


戦争を経験した人の、大切な話。 それを伝えるのは、聞いた人達。


今度はこの ブログ から、未来へ。




















この記事へのコメント

Mimi
2007年08月09日 00:04
Youさん。はじめてtrackbackします。
2児の母親です。「聞き、伝えること」大切なことですね。
自分の中でまだリアルに聞くことができたこと。
まだ伝えられる射程距離に自分が位置していること。
蟲師の漆原さんの表紙裏コメントにもありましたが、
戦争で伝えられる生の言霊を次世代に伝えられるぎりぎりの世代が私たちに当たります。
おそらく「限界」の世代。
それが「語り継がれる」レベルで済ませるためにも、
実際に現実になることを抑えるための弁としての機能を果たすためにも、
それが私たちに課せられた義務のように思えます。
終戦記念日を間近に控えた今日この頃、
たまには真剣に考えることも必要ですね。
2007年08月09日 09:13
Mimiさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
この話を聞いたときは、本当に恐かったんですが、大人になって、校長先生が何故この話をしてくれたのかの意味が分かり、今は機会があれば職場や近所の子供たちに「話題」として話しています。

>おそらく「限界」の世代。

自分の両親も、そのギリギリの世代です。ただ、田舎で育ったものですから、あまり「戦争」の体験がない・・・というのかな。疎開してきた人達が、イモを貰いに来た。というくらいしか、記憶にないそうです。

この話をしてくれた校長先生は、残念ながら数年前に他界しました。だからという訳ではないですが、この話を伝えていくのは、今度は自分達の番だと思っています。

2007年08月15日 18:13
ヨウさん、いつも大変お世話になっております。
ひっそりお邪魔いたします。

ヨウさんのお話を伺って、終戦当時10歳だった母が話してくれる記憶を脳裏に思い浮かべています。
母は長岡の大空襲を目撃し、B29が轟音を立てながら大編成を組んで上空を飛んでいく様子が目に焼き付いているとのことでした。
防空壕に家族とともに身を潜めていても、恐ろしくて体の震えが止まらなかった…と。
その後、空が半分以上真っ赤に燃えたように染まり、空襲の激しさを子ども心に感じ取ったようです。
お米で有名な地域に育った母ですが、家が開業医で農家ではなかったために戦時中は玄米をなかなか入手することができず、家族総出で買い出しに歩いても毎日お腹を空かせて痩せ細るしかなかったとのこと。
旧制高校生だった伯父は結核が治りきらないうちに名古屋へ勤労動員に招集され、その工場が激しい爆撃を受けて命からがら畑へ逃げ、辛うじて助かりました。
一緒に働いていた学生達の多くが亡くなったそうです。

8月15日が巡ってくるたび、しみじみと「アニメを一生懸命観ることができる毎日は、本当に有り難いものなんだな」と感じます…。
2007年08月15日 22:00
翠水堂 さん、コメントありがとうございます。

校長先生のこの話には、続きがありまして、公園の外に出ると まるで真っ黒な泥人形のような遺体が無数、道端にころがっていたそうです。
人の形をしているのだけど、恐いとか悲しいとかの感情が湧いてこなかったと、校長先生は話していました。あまりの事に、人間としての感覚が狂ったのだろう・・・と。

ここで、恐すぎて泣いた記憶があります。
今思うと、小学校の低学年に聞かせる話ではないですね。校長先生も、「教育」というよりは、次の世代に伝えたかったんだと思います。

>「アニメを一生懸命観ることができる毎日は、本当に有り難いものなんだな」と感じます…。

同感です。戦争を放棄した国ですが、戦争に「加担」せざるをえない立場にいるのは、どこか寂しい感じではあるけどね。

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